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神戸地方裁判所 昭和35年(わ)402号 判決 1960年9月17日

被告人 橘泰宏

昭一〇・九・六生 無職

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は肩書住居に居住し明石市内の酒造会社に工員として勤務していた者であるが、昭和三五年一月末頃、同僚と神戸市兵庫区福原町所在の御座敷サロン「福徳」において遊興し、同店女給祐子こと山本玉子(当時二一歳)と肉体関係を結んだことから同女に思慕をよせ、その後再三同女のもとに通つて遊興し、そのため会社も欠勤がちとなつて同年三月末退社し、同女の居住する神戸市兵庫区荒田町三丁目六八番地田尻アパートで同棲するようになり、同年四月初頃には結婚式を挙げて被告人の実家で居住する約束までしていたところ、その直前になつて同女が、郷里の実家で交通事故をおこし一〇万円送金せねばならぬと言うことを理由にして、被告人の実家での同棲をいとい、大阪で稼働することを希望しだしたので、金策は自分がするから実家で同棲するよう極力説得したがこれに応じず、かえつて同女の身内の者から大阪での就職を勧められ、遂には同女と大阪で居住する気にまでなつていたが、同年四月九日午前一時頃、前記田尻アパート内玉子の居室において共に就寝中、実家での同棲を熱望していた母や家族の事等を考えているうち、前記金策等に関し同女と口論となり、同女が先に預つていた五千円を宿賃だといつて返還しなかつたばかりでなく、同女から「大阪に行くのがいやになつたんやろう」「わかつたぞ金ができないんだろう。初めからそんな金はできはしなかつたんだろう。あんたと一緒になつても先が見えている。」「欺されたら一人前だ。」等と面罵されたので、今まで同女が自分を騙し続けてきた本心にふれたように思えて激昂し、同女の顔面を平手で殴打すると、同女が起きかえりざま「あんたに殴られる理由はない」とわめきながら殴り返してきたので、いつになく反抗的なその態度についてカツとなつて、同女をはねのけ、仰向けに押し倒して同女の上に馬乗りとなり、両手で同女の喉首部を夢中で圧しつけ、よつて前頸部擦過創、同筋肉内出血等及び舌骨々折の傷害を負わせ、間もなくその場で同女を窒息死するに至らしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(未必的殺意を認めなかつた理由)

本件起訴状記載の訴因中、殺意については、「被告人は(中略)同女に対する憎悪の念一時に発し突嗟に殺意を生じ、同女の上に馬乗りとなり、両手で強く同女の喉首部を締めつけて窒息死せしめたものである。」というのであり、検察官は右殺意は未必的故意を意味すると主張する。

右未必的殺意について、被告人は司法警察員に対する供述調書一通(検甲第21号の6)を除いてはこれを認めず、警察、警察庁、当公廷を通じ一貫して、気がついた時は同女の上に馬乗りになつていた旨供述し、右調書中「首を締めつければ人は死ぬだろうということは充分に知つていましたので、祐子の首を押えつければ若しかすれば祐子は死ぬかも知れぬとは思いつつ首を押えて締めていました」旨の未必的殺意を認めた供述部分は、同供述調書の前後の供述内容及び当公廷における被告人の供述と対比検討すると、被告人が理詰めに問いただされた末供述した疑いがあり、これをそのまま措信できず、結局この点についての直接証拠はないことになる。

判示のとおり被告人の本件犯行直前の激昂の度合は相当強く、犯行の状況も被害者の上に馬乗りとなつて喉首部を両手で集中的にしめ、前頸部擦過創、前頸部筋肉内出血、及び舌骨々折等の傷害を負わせたうえ間もなく窒息死させている情況のみを取りあげるならば、或いはこれを殺意に結びつけ得ないとは云えない。しかし一方前示証拠によると、被告人と被害者は婚約までしていた程の関係にあり同女から虚構の金策を頼まれた際にも真実と思い込んでそのために奔走したのであつて、犯行の直前まで山本玉子を殺さねばならないような決定的な動機と考えられるものがない。のみならず、舌骨々折を与える程の集中的に強力を頸部圧迫についてみても、被告人は頑健な体躯をしており、日頃から力仕事をしていて人一倍腕力が強く、これがいつにない玉子の反抗的態度に激したすえ、興奮のあまり合理的な判断を下す余裕もなく、たまたま強力に作用したものと考えられる。また首を締めるに至つた直接の動作は、同女をはねのけた際被告人の片方の手が同女の首にかかつたためであることが窺え、絞首の行為も全く素手で紐類その他の用具を用いていないことが明らかである。そのうえ、やや吾にかえつたのち、同女の鼻血を拭きとるうち、その異様な形相を見て同女の死の予感にかられるとともに驚き、慌てふためいて衣服を着るゆとりもなく、アパーを飛び出し、街頭で初めて衣服をまとつている事実は、被告人が前記自己の行為と同女の死の結びつきを全く予期しなかつたことを窺うに足りる。そうすると前示情況も未だ未必的殺意を認めるには充分でなく、他にこれを確認するに足る証拠は何もない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二〇五条第一項に該当するので所定刑期範囲内において被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二一条によつて主文第二項のとおり未決勾留日数の一部を算入し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り主文第三項のとおりこれを負担させる。

(裁判官 福地寿三 田原潔 西池季彦)

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